新作の舞台作品を考えるとき、題材を何にするのかでいつも悩んでいる。
歴史上の人物、特に海外の王室に纏わるエピソードを探し、作品として使用される事が多い。
しかし、どれも何度か上演されていて、新作と呼ぶには???
そんな時はきまって自分が何に感動したかを、思い出してみることにしている。
ある日、いつもと同じように思い出していたら・・・・・
不謹慎だが、それはある年末の競馬中継だった。
1990年 12月23日 第35回 有馬記念
「奇跡の復活」 「感動のラストラン」と呼ばれた、あの馬。
オグリキャップのラストランだ。
1990年 第二次競馬ブーム
バブルに加えて、武豊騎手誕生で女性ファンが増えた。
第一次ブームは、まだ大学生だった。あの歌にもなった、ハイセイコーの時代だ。
余談だが、府中の東京競馬場にはお世話になった。
オグリキャップに惹かれた理由は、人生?馬生が波乱に満ちていたからだ。
「地方出身の三流血統馬が、中央のエリート馬をなで斬りにし、トラブルや人が決めた
過酷なローテーションの中で、数々の名勝負を演じ、二度の挫折を克服した。」
最後のレース翌日に書かれた、スポーツ紙の評だ。
まるで何かの宣伝文句のようだ。 名文。
岐阜県の地方競馬 笠松競馬場でうまれ、中央競馬界に。
何度かの怪我を乗り越え、馬主の事件にも巻き込まれ、それでもひたすら走り続けた。
「芦毛の怪物」 強すぎて憎まれたこともあった。勝てないとそれこそ・・・罵声が飛ぶ。
何度か競馬場で彼をみたが、「本当にこれからレースをするのか?」と言うほどノンビリしてて、
カワイイのだ。負けても憎めないのだ。
またまた余談だが・・・ 馬にもスポーツ心臓があることを知った。
引退前は負けが重なり、最終レースで優勝した時に中継アナウンサーが、
「オグリのスポーツ心臓は生きていた!」と叫んだのだ。
多少のハンデを持って生れてきたらしい。そのためかなりの練習、調教がされたと聞く。
引退式は、京都、笠松、東競馬場と、史上初の三会場で行われた。
岐阜県笠松町の人口は、当時 2万3000人。 それを上回る、2万5000人が集まった。
しかも馬場に入場できなかった観客が1万人以上いて、最終的には、約4万人と発表された。
すごいことだ。
後年、北海道を題材にした作品があり、北海道ツアーがあった時、私は一人で彼に会いにいった。
引退後、北海道新冠郡 優駿スタリオンステーションで放牧されていた。
いつも通りの優しい顔をしていた。
馬を題材に作品を作り上げるには無理があるかもしれない。
しかし、1985年生まれ 25年の間にはいろんな出来事があり、ドラマがある。
映画では描く事ができるかもしれないが、私は自分の記憶に留めておきたい気がする。
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