「演劇取材の現場と劇評」

 

先日、関西演出家協会関西ブロックの企画に参加した。

「書く側」と「書かれる側」の双方の意見を聞き、沈滞気味な関西演劇界を、「何とかしょう」という事だった。

パネラーは、朝日、毎日の演劇担当記者と、演劇批評家の先生だ。

う~ん・・・  一言で言えば、残念だった。

どの職業も不況の嵐で、それぞれの会社事情を聴くだけになり、「泣き言」の・・・・・

 

私より上の世代では、銀行が潰れる事は予想できなかったし、新聞の必要性が見直される

時代が来るとは、思ってもいなかった。と、思う。

劇評は対象になる作品が生み出されてこそ成立する。

しかし掲載する紙面が少ししかなく、メジャーなものが優先するらしい。

 

一昔前の舞台の宣伝活動といえば、広告を出したり、TVスポットを打ったり、チラシを撒いたり、

ポスターを貼ったりだった。手間とコストがかかる。

取材にしても、企画書を送り、電話で連絡を取り、できれば稽古場取材をしてもらい、

そして作品を観てもらい、劇評をお願いする。

結果、辛口になっても受け入れる事ができたが、今はそんな時間的余裕がない。

 

取材される側の立場として何が困るのかと言えば、記者の顔が見えない事だ。

顔が見えない? 

どんな価値観(舞台、演劇に対して)を持っているのかが分かり難い。

以前担当記者が来れないので、別の部署の記者が来た。聞けば何と・・・囲碁担当の記者。

ブチ切れるわけにもいかず、かといって取材をキャンセルするわけもいかず、(タレントがスタンバイ

しているので)仕方ないから私が質問して取材を進めた事がある。

こういった事は、重大な事件が起きた時には、「仕方ない」と諦めるしかない。

よくよく考えると、取材する側も同じ事を感じているのかもしれない。

どんな考え方で、なにを伝えたい集団なのかもわからないのに取材は出来ないと思う。

 

「信頼関係」があってこそ成立する。しかし、信頼関係を築く時間的余裕や機会がない。

なぜか、悲しい。

明確な基準がないこの世界。評価は難しいし、劇評によってお客さんが急激に増える事もない。

日本での舞台文化は、なかなか認知され難いと、後ろ向きな考えになってしまう。が・・・

 

話がいつもどうり飛ぶ。

 

久しぶりに、サミーデービスのビデオを見た。やっぱり私にとっては凄い人だ。

何か落ち込んだり、考えが行き詰ったりしたときにいつも見ているいるのだが、

いつ以来だろう。本当に久しぶりだ。

若い人にとってはあまり興味がないかもしれないが、「偉大なエンターティナー」だ。

 

とにかく、「情熱」しか取り柄がないので(青臭いが)、早く舞台作りをしたい。

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