うちの家の庭に、赤い実を沢山つけた木があります。
何の木なのか、調べたのですがはっきりしません。

家族も、これはナンテンだの、ナナカマドだの、ネズミモチだの、それぞれいいかげんなことを言っています(笑)
でもとにかく、とても可愛らしい木で、通りがかる方が、「クリスマスの飾りみたいね
」とおっしゃってくださいます。
最近、ヒヨドリたちがその実を食べにしょっちゅうやってきます。
そのヒヨドリたちを見ているとあることを思い出しました。
私が小学校の低学年だったころの出来事です。
ある日、祖父が、庭でヒヨドリのひなを拾ったのです。
私は鳥が大好きだったので、大喜びしました。
なんとかしてこの子を育てたいと思いました。
お母さんになった私の後を、可愛いヒヨドリがちょんちょん、とついて歩く光景を想像し、うっとりしました。
でもヒヨドリのお母さんになるのは、思ったより大変でした。
ペットショップで買った小鳥のえさは、全く食べてくれません。
「新鮮なえさしか食べないんだな」
そう思った私は、ミミズを土の中から掘り起こし、それをペンチで小さく切って、あげることにしました。
気持ち悪いとか言っていられません。必死でした。
そして、その子はやっと食べてくれました。
すごく嬉しかったです。
でも、ヒヨドリのお母さんになるための私の努力は、たった一日で終わりました。
翌朝、その子は冷たくなっていたからです。
かたくなって、首がぐらぐらになってしまったその子を触りながら、私はわんわん泣きました。
泣きながら、「どうしよう...とりかえしのつかない事をしてしまった」と思いました。
実は、私がその子を育てようと悪戦苦闘している間、
庭に、何度も何度も大人のヒヨドリが、くちばしにえさをくわえてやってきていたのです。
ひなの鳴き声を聞きつけてやってきたお母さん鳥だったかもしれません。
でも、私はひなをそのお母さんに渡したくなかったのです。
もしかしたら、近くを捜せば巣が見つかったかもしれず、ひなをお母さんに返すことは出来たはずなのですが、私はそうしませんでした。
自分がその子のお母さんになりたかったからです。
その子をペットにしたいという私のエゴが、その子を死なせてしまったのだと思いました。
今でも、少し心が痛みます。
そして愛するということは難しいものだなあ...と思います。
可愛いな、と思って愛してしまったら、自分のものにしたくなるけれど、
それが、愛した存在にとって幸せだとは限りません。
でも、やっぱり愛してしまって、執着してしまって、その対象となんとかして繋がりを持ちたくなることがあります。
もしかしたら、愛するということは、その対象に「迷惑をかける」ことなのかもしれません。
たとえば脚本に対しても、そんなものと関わりを持たないでいられたら楽かもしれないのですが、
「書きたい」と思ってしまうからこそ、いろんな人にご迷惑をかけたり、ご心配をかけたりして、ぐちゃぐちゃになってしまいます。
しかし、最近になって、こんなことも思うようになりました。
いろんなことに無関心でいるよりは
迷惑をかけてもいいから、さまざまなものや人をいっぱい愛して、泣いたり笑ったり、いろんな思いをした方が、やっぱり楽しい人生だなあって
これからも、いろんなものを愛し、そのたびに悩んだりつまずいたりして生きていきたいです。
あの時のヒヨドリのひなは、私を許してくれてるといいなあ...
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